本帖最后由 赏月观星 于 2010-5-26 14:51 编辑
17L:
天文学家们认为,是一次大的爆炸,形成了现在的太阳系。爆炸后散落的碎片以及气体的团块,逐渐相互吸引聚拢,慢慢形成了围绕太阳做旋转的各个星体。越是质量密集的,就靠拢太阳越近(水星,金星),同时有着炎热的地表温度。越是轻的气体团块,就会离开太阳越远(木星,土星,天王星,海王星),同时温度也越寒冷。
最新的太阳系形成理论我不太了解,不敢评判这段话,只是感觉很不对劲。
如果感觉不对劲,就请你加紧学习。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E7%B3%BB%E3%81%AE%E5%BD%A2%E6%88%90%E3%81%A8%E9%80%B2%E5%8C%96
歴史 [編集][url=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%ABierre-Simon_Laplace.jpg][/url] [url=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%ABierre-Simon_Laplace.jpg]
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星雲説の提唱者の一人ピエール=シモン・ラプラス
世界の起源と終末という思想は有史以来常にあったが、太陽系という概念ができたのは近世以降であるため、これらを太陽系の存在と結びつけて考えることはほとんど皆無だった。太陽系の形成と進化の理論への第一歩は、太陽が中心にあり地球がその周りを回っているという地動説を広く受け入れることだった。この考え方は1000年間も異端の扱いであったが、17世紀末にやっと世間に受け入れられるようになった。「太陽系」という言葉を用いた最初の記録は1704年に遡る[3]。
現在の太陽系形成の標準的な理論の原型である星雲説は、18世紀にエマヌエル・スヴェーデンボリ、イマヌエル・カント、ピエール=シモン・ラプラスらによって提唱されたが、当初は受け入れられなかった。最も大きな批判は、惑星と比べて太陽の角運動量が小さいことを説明できない点であった[4]。しかし1980年代初頭に、若い恒星の周りに星雲説で予言された冷たいガスと宇宙塵の円盤が見つかると、再び認知されるようになってきた[5]。
太陽がいかにして進化を続けるかを理解するには、太陽のエネルギー源に対する理解が不可欠だったが、アーサー・エディントンによるアルベルト・アインシュタインの相対性理論の解釈によって太陽のエネルギーは核で行われる原子核融合に由来することが明らかとなった[6]。1935年にはエディントンはさらに他の元素も星の内部に由来することを示唆した[7]。フレッド・ホイルは、この仮定に基づき、赤色巨星と呼ばれる進化の最終段階を迎えた恒星は核の中で水素とヘリウムより重い元素を生産していると唱えた。赤色巨星の表層が吹き飛ばされるとこれらの元素が露出し、他の恒星系を作るためにリサイクルされる[7]。
形成 [編集]恒星の形成 [編集]
ハッブル宇宙望遠鏡によるオリオン大星雲の原始惑星系円盤の様子
星雲説によると、太陽系は直径がおよそ数光年もある巨大な分子雲が重力により収縮してできたとされている[8]。20世紀中頃までは、太陽系は比較的独立に形成されたという見方が一般的だったが、古い隕石の中から、星の爆発によってしか形成されない60Fe等の同位体が見つかった。これは、太陽の形成過程で近傍で何度かの超新星爆発が起こったことを示唆している。そのような超新星爆発の衝撃波が分子雲の中に密度の濃い部分を作り、太陽の形成の引き金になった可能性がある。重く寿命の短い恒星のみが超新星となるため、おそらくオリオン大星雲のようにいくつもの恒星が誕生する巨大な領域で形成されたはずである[9][10]。
そのようなガス雲の収縮が起こっている領域の一つで太陽系が形成された[11]。この領域は直径7,000天文単位から2万天文単位で[8][12][13]、質量は太陽よりわずかに大きい程度だった。組成は現在の太陽とほぼ同じで、収縮したガス雲の質量の98%はビッグバンから1億年以内に合成された水素やヘリウムに痕跡程度のリチウムであった。残りの2%は第一世代の恒星の中で合成された重元素である[14]。それらの恒星は寿命が尽きると、重元素を星間物質として放出した[15]。
角運動量保存の法則により、星雲は収縮時より速く自転する。星雲内の物質の密度が高まると、原子が頻繁に衝突し、運動エネルギーが熱に変換される。最も密度が高くなる中心は、周囲の円盤と比べかなり温度が高くなる[8]。10万年程度経つと[16]、重力、ガス圧、磁場、回転等の拮抗した力により、直径200天文単位以下の原始惑星系円盤が形成され[8]、その中心に温度と密度が高い原始星が形成される[17]。
進化のこの段階では、太陽はおうし座T型星のような星だったと考えられている。観測の結果、おうし座T型星は太陽質量の0.001倍から0.1倍の質量の原始惑星系円盤を伴っていることが分かっている[18]。この円盤はハッブル宇宙望遠鏡での観測によると数百天文単位の範囲に広がっている[19]。温度はせいぜい数千ケルビンと低い[20]。5000万年以内には太陽の中心の温度と圧力は十分高くなって水素の融合が始まり、静水圧平衡に達するまで重力による収縮が続いた[21]。これは、太陽が主系列星と呼ばれる段階に入ったことを意味する。主系列星とは、内部で水素の核融合によりヘリウムを生成することでエネルギーを生産している恒星のことである。太陽は今日でも主系列星の一つである[22]。
惑星の形成 [編集]
原始太陽系の想像図
様々な惑星は、太陽の形成後に残ったガスや宇宙塵の円盤から形成されたと考えられている[23]。今日最も広く受け入れられている仮説は、降着円盤モデルとして知られているものである。このモデルでは、まず宇宙塵が太陽の周囲の軌道を回り始め、次々に衝突して1kmから10km程度の微惑星という塊を作る。その後数百万年間は衝突により、1年あたり数cm程度の速さで成長する[24]。
太陽から4天文単位以内の内部太陽系では、水やメタン等の揮発性の分子が凝縮するには温度が高すぎるため、金属(鉄、ニッケル、アルミニウムなど)やケイ酸塩などの融点の高い物質が微惑星を形成し、岩石質の惑星(地球型惑星:水星、金星、地球、火星)になった。これらの物質は宇宙では珍しく、星雲中には0.6%程度しか存在しないため、地球型惑星はそれほど大きく成長できなかった[8]。岩石質の原始天体(惑星の胚)は地球質量の5%程度まで成長し、その後は衝突合体を繰り返して大きくなったが、太陽形成後10万年程度で集積が止まった[25]。
巨大ガス惑星(木星型惑星:木星、土星、天王星、海王星)は、火星軌道と木星軌道の間の、揮発性物質が凝結して固体になる凍結線よりも外側で形成された。木星型惑星を形成する氷は地球型惑星を形成する鉄やケイ酸塩よりも豊富にあり、宇宙に最も多量に存在する水素やヘリウムを捕獲するのに十分な質量を持つに至った[8]。凍結線より外側の原始天体は、300万年の間に地球質量の4倍程度になった[25]。今日では、4つの木星型惑星の質量を合計すると、太陽の周りを回る天体の全質量の99%にもなる[26]。木星が凍結線のすぐ外側に存在することは、偶然ではないと考えられている。凍結線上には蒸発した大量の水が溜まるため、圧力が低い領域が形成され、軌道上を回っている宇宙塵を加速するとともに太陽の方向への動きを押しとどめる。この効果により、凍結線外の物質は5天文単位以上太陽に近づくことができなくなる。これによって物質の集積が加速し、地球質量の10倍程度の塊ができる。これが周囲の水素を取り込み、1000年程度で地球質量の150倍まで成長し、最終的には地球質量の318倍になった。土星は、木星より数百万年後になって形成されたため、周囲に利用できるガスが少なく、木星と比べて若干小さくなった[25]。
若い太陽の様なおうし座T型星タイプの星は、安定した古い星に比べて、強い恒星風が吹く。天王星と海王星は、木星と土星ができた後、太陽風が強く吹き始めて、ガスや宇宙塵の多くが散逸してから形成されたと考えられている。結果として、これらの惑星が獲得できた水素やヘリウムは1地球質量に満たない程度となった。天王星や海王星はしばしば明確な核を持たないとも言われている[27]。これらの惑星の形成理論の上での問題点は、形成のタイムスケールである。現在の位置で形成されたと仮定すると、核が形成されるまでに1億年もかかる。そのため、天王星と海王星は木星と土星の間くらいの位置で形成されてから外側へ移動(ミグレーション)した可能性もある[28][27]。惑星の移動は常に太陽の方向に向かうものばかりではなく、宇宙探査機スターダストによるヴィルト第2彗星からのサンプルリターンによって、太陽系形成時の物質が太陽の方向からエッジワース・カイパーベルトの方向へ移動したことを示唆する結果が得られている[29]。
300万年から1000万年後には[25]、若い太陽の太陽風によって原始惑星系円盤のガスや宇宙塵が全て宇宙空間に吹き飛ばされ、惑星の成長が止まったと考えられる[30][31]。 |